単純な言葉。
ありきたりな台詞に、ありきたりな謳い文句並べて。
少しひねって、変えてみても、個性ということにはならない。
じゃあ、何をしたら個性になる?
何をしたら、自分となる?
そう思っていた頃もあったと思い返してみたりもするが。
なぜ、世界には、同じような言葉が溢れているのか?
無論、一番伝わりやすいからである。
でも、それだと常に同じだと人は傲慢な生き物でもあるから、表現を多用して、変化をつけるのだ。
好きや、愛してるが良い例だろう。
他に相手に好きだと伝える表現で特徴的なものだと、月が綺麗ですね―――だろうか?
文学を学んできた者や詩を嗜む人には伝わる、有名な表現。
百人一首やかるたに触れてきた者もそうだ。
しかし、知らない者には知らないだろう。
外国人に言ってみたとしよう。
必ずしも、伝わるだろうか?
そこなのだ。
日本は奥ゆかしい表現が昔から存在している。
ひらがなや大和言葉―――言葉のレパートリーや細かい部分の違いが多いと言われるゆえんだ。
対して、他の国はとてもストレートだ。
日本という国ほどの細かい違いはないだろう。
i love you―――それだけで伝わる。
シンプルで直球的だ、ストレート。
だからこそ、良くも悪くも伝わるのだ。
難しいことはいい!
簡単に!感情の赴くままに!というタイプであれば、好んで使うだろう。
複雑じゃないからだ。
これは捉え方にもよる。
相手の言葉の受け取り様によって変わる。
i love youだって、この奥にぎゅっとしたいろんな意味や思いが込められてる―――そう思うと、とても特別で、ロマンチックな言葉に変容するだろう。
むしろ、この言葉……シンプルで単純だからこその重みを感じられはしないだろうか?
そういうものだ。
捉え方次第で、人は変わるのだ。
最近、そういったものを自分はよく綴っている傾向がある。
………いや、それは前からだ。
人は……考え方、物事の捉え方で変わる。
本当に、その通りなのだ。
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【↑上記のことを考えてた時に思っていたこと】
何かを変えたいなら、行動。
行動の裏には、すぐ行動できるマインドが備わってる。
いや、感覚的なものだ。