Paradox#

思考ノートの切れ端⸜( •ω• )⸝ その時の心境や状況によって様々な角度で切り込んでいることがしばしば。

単純な言葉。

 

 

 

りきたりな台詞に、ありきたりな謳い文句並べて。
少しひねって、変えてみても、個性ということにはならない。

じゃあ、何をしたら個性になる?
何をしたら、自分となる?
そう思っていた頃もあったと思い返してみたりもするが。

なぜ、世界には、同じような言葉が溢れているのか?

無論、一番伝わりやすいからである。
でも、それだと常に同じだと人は傲慢な生き物でもあるから、表現を多用して、変化をつけるのだ。

きや、してるが良い例だろう。

他に相手に好きだと伝える表現で特徴的なものだと、が綺麗ですね―――だろうか?
文学を学んできた者や詩を嗜む人には伝わる、有名な表現。
百人一首やかるたに触れてきた者もそうだ。

しかし、知らない者には知らないだろう。
国人に言ってみたとしよう。
必ずしも、伝わるだろうか?

そこなのだ。
本は奥ゆかしい表現が昔から存在している。
ひらがなや大和言葉―――言葉のレパートリーや細かい部分の違いが多いと言われるゆえんだ。

対して、他の国はとてもトレートだ。
日本という国ほどの細かい違いはないだろう。

i love you―――それだけで伝わる。
ンプルで直球的だ、トレート。
だからこそ、良くも悪くも伝わるのだ。

難しいことはいい!
簡単に!感情の赴くままに!というタイプであれば、好んで使うだろう。

複雑じゃないからだ。
これは捉え方にもよる。
相手の言葉の受け取り様によって変わる。

i love youだって、この奥にぎゅっとしたいろんな意味や思いが込められてる―――そう思うと、とても特別で、マンチックな言葉に変容するだろう。

むしろ、この言葉……ンプルで純だからこそのみを感じられはしないだろうか?

そういうものだ。
捉え方次第で、人は変わるのだ。

最近、そういったものを自分はよく綴っている傾向がある。
………いや、それは前からだ。

人は……考え方、物事の捉え方で変わる。
本当に、その通りなのだ。



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【↑上記のことを考えてた時に思っていたこと】


何かを変えたいなら、行動。
行動の裏には、すぐ行動できるマインドが備わってる。
いや、感覚的なものだ。