Paradox#

思考ノートの切れ端⸜( •ω• )⸝ その時の心境や状況によって様々な角度で切り込んでいることがしばしば。

自己否定を止められない貴方へ

 

人間は不完全。
なら、不完全であることが当たり前だとも繋がる。
自分を責める時間が勿体無くない?

 

この理論で言えば、
不完全であることが当たり前なのに。

 

自分を責めてるということは、
自分の不完全の部分を
駄目だって攻撃してるってこと。

 

不完全であることが当たり前。
=人は欠点を何かしら持ってる。
=自分も欠点があって当たり前。

 

とんだ爆弾理論かもしれないけれど、
そういう風に捉えてみると、
少しは楽になったりしないかな。

 

自分を責めるだけなら、誰でも出来るよ。

簡単すぎるんだよね。

 

今から、毒・・・厳しいこと吐くよ。

 

自分を責めることで、思考放棄してるの。

 

それしか選択肢ないみたいに錯覚させる。
その選択肢が、さも最善であるかのように。

 

責めときゃ良いーってさ。
でもそれって、何も進歩しないよね。

 

今後も、何も改善もないまま、そのまま。
また同じことが起こっても、責めるだけ。

責め続けるだけ。

 

出来ないって言い続ければ良いもの。
でも、それだと苦しくない?

 

生きてて、自分嫌いなまま、
不謹慎だけれど、ご臨終になりません?

 

最悪、そういうことを思う自分に対してさ
最低だなーって罪悪感湧くんだよね。

それのスパイラル。


負の循環が起きて、抜け出しづらくなる。

はい。 ・・・完全なる、経験談です。

 

実際にここから出来ることってさ。
考え方の方向を少し、変えてみたり。

 

欠点を責めてる時間があるなら、
その欠点からどう自分はリカバリー出来るか?
色々、工夫の余地はあると思うんだ。

 

結局、思考が行き着いたところって、

 

自分はそういう性質がある。
なら、それをどうカバーする?
その性質をどう活かせる?

 

ってことなんだよね。

 

シンプルなの。

 

思考の方向性を変えたら、
本当に生きやすくなった。

 

自分を責める性質が少しずつ、
改善されつつある。

 

以前の私からは、考えられない変化だ。

 

色んなことあったけど・・・
本当にありがとう。 大好き。

 

 

 

―――――――――――――――――

 

2019年11月27日に

実際に行ったことから反芻させ、

自分へのメッセージがてらに執筆。