『怒り』という感情【捉え方ならぬ対処法】
感情を抱くことは悪いことじゃない。
大事なのは、その感情を認知した時、自分がどうするか?
その気持ちと対峙した時、どう対処するか?だ。
怒りを例に挙げよう。
確かに、怒りを周りにぶちまけてしまうことは、後に罪悪感に呑まれたり、やり過ぎたなって反省することも多い。
ぶちまけるのではなく、怒りを抱いた時に、
一旦、自分の懐に収めるのはどうだろうか。
怒りの矛先を…その後の選択を一旦預ける、といった感覚と言えばいいか。
本来、怒りが無くとも、自分の要望は相手に伝えられる…伝わるものだ。
怒りの方法で伝えなくとも。
なので、私自身は日常でほぼ怒りは必要がないと思っている。
だが、そもそも怒りは必要でない感情かというのは、また別で。
捉え方が異なるのである。
怒りを抱いた
→今、自分は怒りを抱いてると客観的に見つめる
→なぜ怒りを抱いたのか?などを考える(怒りの発端の欲望など)
→相手へのしてほしいこと、して欲しかったことが見える
→なら自分はどう行動したらいいか?
→伝えよう、にこやかに
→それで解決
と、なる。
もちろん、根気も居る。
そして、相手へ感情をぶつけないという自分を律することと、伝え方も考えながら話すことが必要になる。
当然、その場で昇華出来ない場合、
別のところで発散も必要となってくるが・・・
きっとそういう面も自分の可愛いところ、
不完全なところではないだろうか?
怒りを抱いたことで、自分は何に怒っているのか?の発端を探り、
それが上手く発覚すれば、行動に取り入れることが出来るのだから。
怒りという行動も別の行動をするということに変えることも出来るわけだ。
可能性が増える。
それって凄いことだと思わないか?
怒りという感情自体は、自分の欲望や要望など…自分を知るチャンスでもある。
そう思うと、怒りという感情をどうするか?
どう活かすかは自分次第だなって改めて感じる。
中には、パワーに繋げる猛者もいる訳で。
今回紹介した方法以外の考え方、捉え方……また、行動や選択肢も沢山存在してるのだろう。
それらを模索してる最中だ、私は。
これからも気長に気楽に続けて行こう。
自分との向き合いワークを。
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ふと思ったことの走り書き。
このことについては、
前々から思い浮かんでいて、
やっとこうして形になりました。
ザックリ要約すると、
『感情は自分を知るルーツであったり、
活用出来たりもするから、
恐れなくて良いんだよ』って内容でした。