Paradox#

思考ノートの切れ端⸜( •ω• )⸝ その時の心境や状況によって様々な角度で切り込んでいることがしばしば。

伝言ゲーム

 

 

これは伝言ゲームみたいなものだと
囁く小さくも黒い影は言った。

 

当事者様たちでさえ、食い違いがあるのに
正確性が不安定のまま
流されては意味はもう無いのだと。

 

拡がる話は、本人たちの知らぬところで
予期せぬ方角へと膨らんでしまう。

 

話の独り歩き。
正確性はもう無いに等しかった。

 

その情報が正しいのか、そうでないのか
もうそんなことは意味は無かった。

 

誰も確認をしようとさえ、しない。
自分の目で確かめようともしない。

 

皆の関心は、別のところにあった。

 

その話でさも自分が
正しいとでも言うように
やっぱりね、と嘲笑う人。


鬱憤さえ晴らせればいいと、
声高らかに吹聴する人々。

 

ともだち、とはなんなのか。

 

形だけだったのか。

 

あんなに仲良さそうに見えたのに。

 

止めてくれ。

お願いだ、悪意なぞ見たくもない。

聞きたくもない!

 

私はそれが悲しかった!

 

いわば、野次馬みたいなものだよ。

その現象を当時の私は憎んだ。

 

・・・私は、もうなりたくない。

 

ある意味、
集団いじめの現場と化していた。

 

中学二年生の頃の話である。

 

 

 

 

 

2020.02.22の走り書きより✍

 

 

 

 

―――この日の想いを、忘れはしない。

 

 

 

情報の正確性や、デマの話と。

 

 

大学二年生辺りに

少し、お話した……美容師さん

(※現在は別の職業をされていらっしゃいます)

のお店を初めて利用するに当たって、

 

調べて見た時に、その人に対して

色んな噂が膨らんでいて。

 

噂が本当かどうかは分からないけれど、

腕にしろ、人柄にしろ……

自分の目で見極めるしかないなーって。

 

真偽はどうにしろ、利用した結果、

彼が相手の事を想い、考えていた接客プラン…

お客様想いで素敵だなって印象を抱きました。

 

お陰で楽しい時間を過ごせたので、

良かったです◎

 

 

 

その時や、

今も似たような出来事があると、

ふと、この事を思い出す事があります。

 

 

 

【私達は、情報の正確性より、

流れるその噂から

自分の鬱憤などを晴らそうとしていないか?

 

その話を、自分自身の欲に……

別の事に利用しようとしていないか?】

 

なんて。

 

 

気をつけたいところです( ´-ω-)

 

 

 

 

お読み頂いた、貴方様へ

ありがとう🎁